「信仰」からの「正しさ」は「自殺まで追い込むネトハラ」になる場合もある。強

自分の反応を変えてモラハラを終わらせる教材が完成
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「正しさ」は自分に使えばとてもプラスになることが多いが、他人に押し付けると相手の心を殺すことがあるから使い方には注意が必要。とくに「信仰」からの「正しさ」は「自殺まで追い込むネトハラ」になる場合もある。強烈なハラスメント加害者は信仰を持っている場合が多いな…と個人的に思っている。

とある「嫌がらせを受けている(茶番じゃないなら)者」の過去の発信には「とある団体を否定した情報」があり、そして現在、その「とある団体」がその嫌がらせを受けている者の周辺にチラついている。これも「支配」の1つです。自分と違う考えを認めようとしていない。水面下で圧力をかけている。

「”宗教戦争は、宗教上の問題が原因で生じた戦争。必ずしも宗教上の対立のみではなく、政治的な利害も複雑にからみ、深刻な争いとなった。同国民同士が血を流して争いあう宗教戦争への反省から、西ヨーロッパでは政治と宗教の分離が進められるようになった。”」

引用元(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E6%88%A6%E4%BA%89

 

大事なことは「宗教を超えて違いを認め合うこと」

多くの戦争には「宗教」が関係している。自分たちの「絶対」と相手の「絶対」が違うから争う。大事なことは「宗教を超えて違いを認め合うこと」です。これが出来なければ「争い」は未来永劫続くのです。SNSでも信仰を持っている者が、信仰を否定した者へ「嫌がらせ」をしていることもある。支配…。

悪者が欲しいがための自作自演

主観で悪魔のように思える人間はいる。しかし、悪魔は実在しない。客観的には存在していない。つまり「悪魔妄想」を抱いていると大変なことになるのだ。主観で悪魔扱いするから「事実の歪曲」も行われ、相手は当然怒る。そして起こったところを「ほらな!」と納得する。悪者が欲しいがための自作自演。

悪魔妄想

「悪魔妄想」を抱いている側は、「こいつは正体がバレそうで図星だから怒っている」と妄想する。相手からしたらたまったもんじゃない。まるで「魔女狩り(現代ではガスライティング)」です。だから「悪魔妄想」は非常に危険なのです。繰り返しますが悪魔は客観的に実在しません。

根底には深い傷がある

悪魔妄想を抱くと、世界が悪魔に支配されているように見えて、「悪魔はいない」と言っている人のことを「こいつは悪魔かもしれない」と疑ったり、本気で思い込むことがある。そんな彼らは「絶対的に信じれるもの」を強く欲している。その背後には「深い傷」がある。

一部を締め出した多様性は未熟なもので反動が起こる

その「深い傷」の集合体は「信念」になり、時に自爆テロでさえ起こしてしまうほどの強烈な集合体です。だから、人は傷つけ合うのではなく、違いを認め合い、支配せず、させず、多様性(犯罪者や信仰を持つ者も含めた広い意味での)が大切なのです。一部を締め出した多様性は未熟なもので反動が起こる。

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