■「パクられた」と“思い込む側”の存在
あなたが何もしていないのに、
長い年月にわたって陰で「あの人はパクってる」と言い続ける人物がいたとしたらどうでしょうか?
しかもそれが、証拠も出さず、名指しもせず、
ただ「それっぽい匂わせ」だけを何年も何年も繰り返していたら?
それは単なる“誤解”や“ちょっとした勘違い”では済まされない、非常に深刻な加害行為です。
■ 被害者が抱える「無言の監視」と「人格否定」
このような“パクリ決めつけ型のつきまとい”被害に遭うと、
被害者は次のような苦しみを強いられます。
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何を出しても「またパクった」と言われるのでは?という不安
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SNSや作品を常に“誰かに監視されている”というストレス
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周囲の人間関係がじわじわと壊れていく孤立感
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「自分の表現は汚れているのでは」と感じる自己否定
この被害の怖さは、“見えないまま長期化する”点にあります。
名誉毀損とも中傷とも明確には言い切れないグレーゾーンの中で、
創作する自由と尊厳が、静かに奪われていくのです。
■ 加害者本人は“悪意がない”ことすらある
さらに問題を複雑にするのが、
加害者本人に“明確な悪意”がないケースがあるという点です。
本当に「パクられた」と信じ込んでいる。
自分は被害者だと本気で思っている。
相手の言動をすべて「自分のマネ」だと“確信”している。
このような心理状態に陥る背景には、しばしば以下のような認知の歪みが存在しています:
● 選択的認知バイアス
→「パクられた」と思い込むと、相手のあらゆる行動が“証拠”に見えてくる。
● 投影
→ 実は自分が他人に似せた表現をしているにもかかわらず、それを認めずに相手に責任転嫁する。
● 自己中心的思考
→ 「自分が先に言った=すべて自分のもの」と思い込む。
● 執着・監視行動(ストーカー的傾向)
→ 対象を“自分のもの”のように感じ、常に追跡していないと気が済まない。
■ これは“パクリ問題”ではなく“人格問題”
このようなケースは、もはや作品や著作権の問題ではありません。
人格への粘着、あるいは執着に基づく社会的操作です。
どれだけ証拠がないか、どれだけ“似ていないか”を説明しても、
相手の頭の中ではすでに「被害者」と「加害者」が固定されています。
この構図の恐ろしさは、
加害者が“自分の正義”だと信じて疑わないことにあります。
だから、誰が何を言っても止まらない。
そして、その信念の強さが周囲をも騙し、じわじわと印象を歪めていくのです。
■ 長期化する加害行為の末路
このような印象操作が長期にわたると、
一時的には加害者のほうが“正義の側”のように見えることもあります。
ですが、最終的には必ず破綻します。
なぜなら――
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人は学ぶから。
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他人の言動を鵜呑みにしなくなるから。
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匂わせや切り抜きの手口に気づけるようになるから。
時間が経てば経つほど、
「あの人、ずっと誰かの悪口ばかり言ってない?(根拠や証拠もなく)」
「被害妄想っぽいよね」と気づく人が増えていくのです。
その結果、加害者自身が信頼を失い、孤立していく。
それがこの手の“パクリ決めつけ型ストーカー行為”の末路です。
■ 結論:バイアスが正義を狂わせる
「パクられた」と思い込むことと、実際にパクられたことは違います。
証拠も根拠もないなら、それは加害ではなく“思い込み”の可能性が高い。
そしてその思い込みが他人の名誉を削っているのなら、
それは立派な加害行為です。
見えにくくても、声を出しましょう。
違和感を覚えたら、それを言葉にして大丈夫です。
「何もしていないのに責められている」人が沈黙し続ける社会では、誰も安心して創作できません。

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