※一部の方が不快になるかもしれない表現も含まれますのでご注意下さい。
※これは僕が子供の頃、ひねくれていた時のお話で、今はこんなことはまったくありません。
僕は、子供の時、
壊れそうなのに強がっていた。
「弱さ」は「悪」だと思い込んでいたから、
必死に、「強く」あろうとした。
そして、「強く」あろうとしたことで、
刃物で人を刺してしまうところだった。
これは未成年の時ですが、
僕は身長168くらい、
相手は180以上で100キロくらい。
その相手は喧嘩も強く、
他の人間と喧嘩した時は相手を一発で沈めたこともあった。
相手は気を失い、病院に運ばれたら、
頭蓋骨陥没していたとのこと。
こんな相手に普通に喧嘩しても勝てるわけもない。
だけど、僕は間違っていなかった。
相手から電話が来たので、
その場所に、原付バイクで向かった。(無免許だった)
金属バッドが無かったので家にある木刀と包丁をもって。
この時は「怒り」で自分を見失っていたので、
台所にある包丁をそのまま手に取った。
ろくに喧嘩もしたことのなかった、
体の小さい子供の頃の僕が強がるには、
「刺してやるよ」と、強がるくらいしか出来なかった。
そして、相手が待っている公園で、
相手の前に原付バイクを止めると、
相手は「こっちこいよ」と言って、
公園の便所に僕を誘導して歩き出した。
僕はまず、木刀でひっぱたいて
刺してやろうと思った。
すると、相手はいきなり振り返り、
僕は木刀を取られた。
そして、その相手は木刀をへし折ったので、
僕は持っている包丁で相手の腹をバスッと刺した。
この時、時間が歪んだような感じがした。
交通事故の瞬間はスローモーションに感じるというけど、
そんな感じだった。
相手は腹を手で押さえ、
自分の腹を見ていた。
僕は手に持っている包丁がおかしいことに気づいた。
刃がない…。
そう刃が折れていたんです。
焦って持っていった包丁は、
先のとがっていない、丸い包丁なので、角度的に刺さらず
負荷がかかって折れたのです。
相手の腹は少し切れて、血が出ている程度だった。
その時、相手もまさか刺されるとは思っておらず、
基地外みたいに発狂した。
僕は「やばい、これ本当に殺される」と思って、
追い掛けてくる巨漢を背に、僕は逃げてしまった。
その後も、喧嘩売ってくるなら
別の方法でやってやるからなという気持ちがあった。
後で、その相手から電話が来たので、
電話に出て話し合った。
何か知らないけど、
相手も、僕の「俺は間違ってない」という気持ちを
「刺されるところだった」という行動で感じたのか、
話し合いで解決しようとしてきて、お互いに「悪かったな」と謝って仲直りした。
後から少しわかってきたことだけど、
ある人物が、僕とその相手を喧嘩させようと、色々陰で仕向けていたんです。
こういった工作ばかりする者は、意外と隠れているものです。
今振り返ってみて、
本当に刺さらなくてよかったと心から思う。
もし、刺さってしまい、
取り返しのつかないことになっていたらと思うと・・・。
今回、なぜこんなことを記事にしたかということ、
最初に書いたように、
僕は、子供の時、
壊れそうなのに強がっていた。
「弱さ」は「悪」だと思い込んでいたから、
必死に、「強く」あろうとした。
そして、「強く」あろうとしたことで、
刃物で人を刺してしまうところだった。
これが、僕の突発的な行動に繋がっていたんです。
これ以外にも「投げやり」や、
「トラウマ」、色々と関係あります。複合的に。
大きな理由の1つが、
「弱さはダメ、強くあれ、特別であれ、そうしなければ、愛情も承認もない」というコレ、
コレが子供を狂わしていくのです。
子供だから当然自分の気持ちなんて自分でわからない。
(機能不全家庭の場合。温かい家庭で育てばわかるのかもしれないけど)
そんな自分の気持ちが自分でわからない時は、
歌が、心を刺激してくれることがある。
当時、彼女と毎日シンナーを吸って、現実逃避をしていた。
その頃、彼女が借りてきたCDの中に、次の曲が入っていて、
何故か、ずっと、2人でよくリピートして聴いていた。
その頃はよくわかっていなかったけど、
「歌詞」の「いつも強く見せてた、本当は壊れそうだったのに・・・」の部分が、
まるで自分の気持ちを代わりに言ってくれているような、そんな感じだったと今ならハッキリわかる。
ということで、僕が伝えたいこと。
それは、「人は、弱くていい」ということ。
人は弱い生き物、弱いことも魅力の1つ。
無理して強がると、
取り返しのつかないことになってしまうこともある。
僕は、「人は、弱くていい」と思えず、
大きな問題を起こしてしまいそうな自分も怖く、人との関りを避けた。
関わってしまうと、また刺してしまうかもしれない。
だから、関りを遮断し、少しずつ、自分の内側を変えていった。
その結果、僕は人を刺すような人間じゃなく、
健全な思考を持てるようになっていった。
あれは、別人だ。そう思うほど。
自分を守ったということ。
あの時の約束だってちゃんと守った。
だから、「嘘つき」に打ち勝ったとも言える。
人は誰しも間違いを起こすことがある。
怒りが抑えきれないくらい深く傷つくこともある。
そして、守るためにはやらなきゃいけないこともある。
だけど、そうならない道を探すことも出来る。
1つの心理的な囚われに固執する必要はない。
もっと自由になって、安全と平和を自分の心に置けばいい。
本当は壊れそうなのに強がっていると、人を刺してしまうこともある。
だから、「弱くてもいいんだよ」と自分に言ってあげることが大事なのです。
壊れそうな自分を、もっと大切にしてあげてください。
壊れそうなのだからこそ、そっと、優しく扱ってあげてください。
それが「本当の強さ」だと思います。
弱さを認め、優しく扱える強さ。
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